My roots

幾千年前からの自分のルーツを見つける”旅”の記録です。

中庸

『中庸』

 

考え方、行動などが一つの立場に偏らず中正であること。

過不足がなく、極端に走らないこと。

(大辞林 第三版)

 

この言葉。

 

以前から 何度も私に現れて来る言葉なのです。

 

私に必要な言葉であり、人々に必要な言葉でもあるのかと思われます。

 

今までも この事は気になっていましたが、上手く例が挙げられなかったので 書けませんでした。

 

 

ツイン関係に目覚めた人は 時に 『極端に』スピリチュアルに傾倒する事があると思います。

 

また、そうじゃない人も・・・ 例えば、食べ物でも 極端に オーガニック以外は 『悪』と考える。

 

では、例えば知り合いや友人から 添加物たっぷりの食品を頂いて 「これは体に良くないから」と捨てるのか?

 

好意でくれた方の気持ちを 捨てるのか?

その食べ物を捨てる行為は正しいのか?

 

では、災害時や非常時に 添加物たっぷりのカップラーメンを食べないのか?

 

どうでしょう?

 別の例えだと、『西洋医学の薬は悪』と言ったもの。

 

西洋医学の薬が 良くないとされるとして、では 『医療用大麻の栽培と使用』は 良いのでしょうか?

 

(某女優さんが 逮捕されましたよね・・・確か。)

 

 

ただ、この時代に生まれて来て 三次元に生きている時に 「これは良くない」と思うものを 『全否定』してしまうのは 如何なものだろう?と。

 

一面のみを見て 『悪』とするか?

 

別の側面から見たら『必要な事』である事ではないか?

 

両極を経験し、考え、その中から 中庸を知る事が 大切ではないだろうか。

 

『それが全てではない』と言う事を 常に 念頭に置くこと。

 

男性性と女性性、どちらかに傾きすぎても 上手くいかないのと同じように、何事も 極端な傾きこそが 『良くない状態』になるのではないだろうか。

 

人と人の関わりでも、「自分が100%正しくて相手が間違えた考え」なのでしょうか?

 

 

スピリチュアルだけではなく、現実を生きる。

現実を生きながら 、スピリチュアルを学ぶ。 

 

ちょっと難しい話になってしまいましたけれど。

 

中庸を考えた時に、 

私は スピードスケート選手の方で 『喘息の持病がありながら 薬でコントロールして競技を続けて世界に出た』方の事を思い出しました。

 

持病のコントロールには西洋医学、薬は適切に使用する。

 

もちろん、アスリートですから 食生活などは 気を配られてきたでしょう。

 

そこだと思うのです。

 

何事も 適切に適量に。

 

良い部分も良くない部分も知って 全否定せずに 必要に応じて取り入れる事。

 

 

バランスが大切・・・中庸である事、その状態を保つこと。

 

それが 人間が生きていく上で 大切な事なのではないかと。

 

 

ツイン関係の両極の学びは 全ての事に通じて いますね。

 

結局は 中庸であることを目指す。

 

 

全て 同じ原理・・・なのですよね。