My roots

幾千年前からの自分のルーツを見つける”旅”の記録です。

異端児で良い。

少し時が経ってしまいましたが、前回の続き。

 

先生の半生を聞いた時、「私ね、文系の人なのよ。だから ものつくりをする時に 何を何グラムとか割合とかぜーんぜん覚えられなくて。笑。

 

でもね、異端児でも良いのよ。これでご飯食べて来れたのよ。

もちろん、好きなものだけを作るわけにはいかなかったわ。売れるものを作る事と、チャンスは掴む事ね。

ラッキーな事に 有名なバイヤーさんの目に留まったり師匠に恵まれたりね。」

 

私は・・・普通でいる事をずっと意識して生きて来た。

窮屈で心を壊してしまっても 真面目に普通に他人より努力すれいつかきっと・・・と思って来たけれど、心の奥では色々と模索した時期があったのも事実。

 

今も模索中・・・って、いつまで模索中?笑。

 

身に付いて、いえ、身に染み付いてしまった『真面目に努力しないと痛い目に遭う』経験が多すぎて より怖がりになっていった。

 

他人に合わせないと叩かれるから 大人しく自己主張をなるべくしない、そんな生き方にだんだん変わっていった。

 

割と、人には恵まれて来たと思っていたけれど 身近な人・・・家族とかコアで関わる仕事関係の人はイマイチな感じも多かった。

 

思えば、私の母親は変な人だったな。

私が異才?を放つ事を喜ぶけれど 人並みから外れる事はめちゃくちゃ叱られた。

母親自体が不安定な感じ?(私の月がノーアスペクトだから?)

 

社会に出ると 周りから人気を集めると恨まれるとか(決して色仕掛けとかでは無い。仕事の成果が出たりetc) 

 

結婚すれば 義理の姉に嫉妬され意地悪され。(自分が一番チヤホヤされたい人だったから)

 

なので、この20年くらいは 出過ぎず、なるべく周りに合わせるように生きてきた。

 

その結果・・・出逢うべく人たちに出逢ったんだよね。

彼やあの人、他にもソウルメイトのような存在に。

10年前辺りが タイムリミットだったんだろうな。

いつまでも消極的で全て諦めてただ生きていた私の前に 彼とあの人が現れた。

 

ここからまた、個性の発揮と言うか・・・何度も死にかけるし 親戚は次々とあの世に行くし仕事も、必要なタイミングで転職になり のちにそれが当たりだった、なんて感じできたけれど。

 

今は止まっている。

でも、先生に出逢うことができて 再び目覚めつつあるようにも思う。

 

焦っても 今はやれる事が無い。

身体を完全に壊したらこうなると言う事。

でも、今はゆっくりじっくり 次のインスピレーションを待つ時なのかも知れない。

体調を整えて 嫌な事にはNO!と言える強さと 自分を過小評価しない事、個性を尊重って、他人より自分を尊重するのが先。

 

異端児で良い。先生の言葉を胸に抱いて・・。

この10年で 随分と時代も変わったよね。

風の時代に入る・・・そろそろ動き出せるかな。