My roots

幾千年前からの自分のルーツを見つける”旅”の記録です。

さらに 怒涛の・・・

母が亡くなって約2ヶ月過ぎて 仕事も辞めて 再就職の活動をしていた時期・・・

 

1ヶ月くらいは 少しゆっくりと 今後の自分の道を考えるために使おうと思った矢先、

 

夫の父が 危篤との連絡が入りました。

 

まさか・・・な、展開。

 

もう延命はしないと 夫の姉が決めて 転院した先に お見舞いに行く事になりました。

 

既に 意識は混濁状態・・・と言う知らせ。

 

とにかく、その 転院先に行ってみました。

 

義父は 二人部屋にいて・・入口の名札を見て 私は 一瞬、釘付けになりました。

 

義父の苗字・・つまり、私の今の苗字でもありますが、

 

もう一人のその部屋の患者さんの苗字が、偶然にも・・・あの人の苗字と同じ⁉︎

 

偶然て、凄いな・・・と思いながら。

 

あの人の苗字は たくさんある・・って程でもなく、珍しいってほどでも無いのですが。

 

不思議な事もあるんだな・・・

 

でも、これは・・・何かのサインのようにも感じたのでした。

 

何か・・・『 腹を括らないと』・・・と、何があった訳でもないのに 何故か思ったのです。 

 

それから数日後、義父は息を引き取りました。

 

ごく身内のみの密葬でしたが 私にとっては大変な事が続きました。

全て、私が動かなくてはならない・・・

ゆっくり休もう ・・どころではなくなりました。

 

ただ一つ 救われたのは、意識も無く 身体を動かす事も出来なくなっていた義父が・・私が声を掛けると 何かを話そうと 声を出して動いた事。

義姉が、「お父さんね・・ずっと 逢いたがってたんだよ・・・一番優しくしてくれたのは あなただったから、ずっと覚えていたの・・・」と言ってくれました。

 

義姉たちが看ている時は まるで呼びかけにも反応しなかったのに・・と。

 

沢山の確執があった為 姉たちと会わなくなり、義父と会わなくなってかなり経ちましたが、夫と結婚してから何年もの間、姉たちを立てて来た事、義父の事も・・嫁として 実の子供以上に義父の話し相手をしてきたり、助けてきた事が 無駄では無かったのだと・・それだけで 報われた気持ちになりました。

 

義父のお悔やみ広告が出る日、何気にその広告を見て 再び驚いたのでした。