My roots

幾千年前からの自分のルーツを見つける”旅”の記録です。

没頭する

にわかに、自らの成長を促される事になったのは 現職・・・つまり、天職であり使命の一つでもある現在の仕事。

 

夏の前に成長を促される事が起きてから3カ月あまりで 更なる成長を求められる出来事、仕事の体制の変化が起きて来ました。

 

日々、何かしら起きる事に心血注いで(ちょっと大袈裟) 相対する人々を より良い状況に持って行けるようになるには 現場スタッフたちとのコミュニケーションも 以前の数倍活発になっていくわけで。

 

職場自体も 活気に満ちて来たように感じられます。

 

私自身、誰かの後ろに隠れているような 場合では無く 自ら前に出て行かなくては クライアントさんを守って行けない状況になる。

 

自分でしっかりと対応しつつ、スタッフとも連携しつつ、自信を持って行くには それ相応に 知識をつける必要も出て来る。

 

仕事以外の時間にも・・・自宅でも 家事の合間も 仕事に活かせるものを考え、学ぶ時間に充てる事が増えました。

 

時に、家事などの主婦業を放棄したいと思う程に。

 

それは、良くない事なのだろうか?

 

家庭を持っている以上は、家事をするのは当たり前なのだろうか?

 

義務なのだろうか?

 

しかし、それは 古い考えだと思った。

そこでブレーキをかけるのなら 家庭を離れても構わないと思った。

 

私が仕事に賭ける想いを理解してサポートしてくれない家族ならば 三下り半を突きつけられるであろうと思ったけれど

 

そうなるなら それでも構わないと思ったのです。

 

以前の私は やっぱりどこかで 『主婦だから』『母親だから』とブレーキをかけてきました。

『主婦だからこうあるべき』『母親だから きちんと育児家事をやるべき』『家庭を守るべき』と。

 

でも、常に 家族に対して不満がありました。

私の意思を尊重してもらえない。

まるで家政婦か奴隷のようだ。と。

 

三下り半を突きつけられる事にも怯えて生きて来たと思います。

それは、私のプライドで 主婦失格とか 結婚不適合者の烙印を押されるのが怖かったのもあります。

 

今は 誰にどう思われても、非難されても構わないと思うようになりました。

 

人生の半分が過ぎて 今更 自分の為に生きれないのは 『家族の犠牲になっている』と思う方が 今居る家族にも失礼なんだと思うのです。

 

家族のせいにしないで 自分の意思でそうなったんだと言いたい。

 

よくある・・・母親が、子供の巣立ちの後に「空の巣症候群」になるのは 自分を生きていないからではないかと以前から思って来ました。

 

母子分離が上手くいかないと 子供も成長し難い。

子供は母親も持ち物でも クローンでもないのだから・・・と。

 

だから、私は自分を生きる。

 

私の魂は 今は使命に突き進む事を望んでいる。

 

今はそれにストップがかかるような出来事は全く起きていない。

 

一人でも 良い状況に持って行けるように。

私とご縁が出来たクライアントさんを笑顔に出来るように ただそれだけの為に 学びスキルを磨く事に没頭している。

 

そんな毎日になって来たのでした。