My roots

幾千年前からの自分のルーツを見つける”旅”の記録です。

夫の変化

世の中の騒動で ニュースを見る、聴くことが増えて stay homeと言う事もあり、家族で話をする機会も増えたように思います。

 

私自身は やはり ここは自分の居場所では無いと感じるのですが、子供たちと夫が 色々と語り合っているのを見ると 安堵するのです。

 

私が居なくなっても 大丈夫だな、と。

 

子供たちが小さい頃から 私は身体が弱かったので 私がいつ死んでも子供たちが困らずに生活出来る力をつけようと 家事とか おつかいも 3〜4歳で練習させてきました。

 

困った時に 店員さんに 声を掛ける事や お願いする事なども。

 

私が持っている生きるためのスキルを全て教えようと思って育ててきました。

私から得たスキルに自分の考えを足して オリジナルの生き抜くスキルを身に着けてもらいたいと願って来ました。

 

友人達に話すと、大袈裟だとか そんなに厳しくしなくても・・・と言われてしまってきましたが。

 

でも、いつ この命が終わるかわからない とずっと感じてきたのです。

 

お陰さまで、子供たちは 私が居なくなっても 生きていけそうだな と最近感じます。

反抗期には夫とは極力顔を合わせる事も無かった子供たちですが、夫とも話せるようになって来たので 私の荷が降りたように感じます。

 

 

そして 夫ですが、 ある日、国民に一律10万円の支給が決まったニュースを見ていた時に 

 

「これ、DVとか 家を出た女性は貰えないのか?・・・うちの母親みたいに 籍を抜いていなくて居なくなった場合って 貰えないって事だよな・・・でも、そう言う人ほど お金って必要な状況なんじゃ無いのかな・・・」と 言ったのです。

 

夫から、お母さんに関して、女性に対して こんな優しい気遣いの言葉が出るなんて 思いもしませんでした。

 

行方がわかっても 会いに行く気は無いと つっぱねて 会わずに 亡くなってしまい 夫はもう変わらないだろうと思っていました。

 

お母さんが どんな思いで家を出たのか 考えるより 自分たちを置いて行った事が大きかったのは想像つきますが 恨みは言わない分 「知らないし、会いたいとも思わない」と 拒絶、無関心を貫いて来た夫。

 

私は 嫁と言う立場からも 子供を亡くした母親と言う立場からも 義母の辛さや苦しみ、どのような思いで家を出たのか思いを馳せる事は出来ましたし、夫がそこに気付いてくれないのであれば 私の事を ずっと人格否定し続けるだろうとも思って来ました。

 

事実、そうでした。

 

 

夫は 父親も恨んできたけれど 父親を拒否する事も出来ず 本当は しっかりして欲しかった気持ちや 父親のようにはならないと 思って来たのでしょうが

 

結局は 自分の父親と同じように 妻に対して否定的で 奴隷のような扱いをしていると 気づけないままだったのです。

 

屈折している分、社会的地位にはついていてプライドが高い分 義父よりも、もっとたちが悪かったのですが。

 

肩の荷が降りる。

 

そう、感じました。

 

まだ、微かにですが。

 

 

夫が変化しても 私は ここは自分の居場所では無い が続いてはいるのですが・・・

 

私の居場所は一体 どこなのでしょう。

 

地球では無い と言うことかも知れません。

 

もう、行こうか。

宇宙に還っても 夫も子供たちも 大丈夫だな・・・。

 

まだ健全であって当たり前の年齢だった両親が身罷り 数年経ち 大きな法要も終えました。

 

その意味は きっと 私自身が 宇宙に還る準備をどんどん進めて良いと言う事なのかも知れません。