My roots

幾千年前からの自分のルーツを見つける”旅”の記録です。

『与えなさい』

もうすぐ蟹座満月という頃のある朝に。

 

その時私は、いろいろな人との関わり方などを考えていました。

 

相対すると エネルギーを奪っていこうと(無意識でしょうが)する人、要求する人、依存してくる人・・・ようやく そのような人に 引っ張られなくなって来ましたが

 

何故、奪おうとするのか・・・気づく事はいつかあるだろうか?それがその人にとっても良い事では無いと気付く日が来るのだろうか?・・・などと 考え巡らせていたのです。

 

何気に 鏡を見た時に、『与えなさい』と聴こえた・・・いや、浮かんだ?

 

女性の、自分の声ではない・・・誰?と思って 浮かんだのは もしかして・・・

 

私のガイドさん?天使?もしかして、天女のような??と、気がついたのです。

 

『与えなさい。欲しいと求めて来るものに。あなたの愛は どれだけ沢山与えても 無くなる事はないのです』

 

え・・・与えるの?

 

私、やっと 引っ張られないように自分を保てるようになったのに・・・与えるって?

 

少し 混乱・・・

 

そして、思い出すのです。

 

初めて彼の声が聴こえるようになった時、私は 鏡を見ていた・・・

 

鏡に映る自分の顔、瞳の奥を見ていた時だった。

 

今回も同じ・・・

 

自分の中の もう一人の自分

 

高次の存在の声・・・

 

迷っている時に 「どうしよう、どうしたらいい」と がんじがらめにその事だけを考えている時には このような導きはありませんでした。

 

少し 自分が抜けている時に 不意に 聴こえてくる。

 

 

与えなさい・・・

 

求められたら 与える・・・

 

依存とか、奪ってくる人に与えても良いのかしら?

私、そこまでお人好しには もうならないと思うけれど?

 

あなたの愛は どれだけ与えても無くなる事は無い・・・

 

 

ベタベタに甘やかす事だけが愛では無いのは わかっています。

分かった・・・と言うか。

今までの 全てを背負ってしまう事が 愛では 無いと言うのは この数年の人生を歩んで 何度か痛い目に遭って わかって来ました。

 

そして、彼やあの人との関わりでも 彼らの深い愛の意味が なんとなくわかって来たから・・・

 

愛は、 目に見えるカタチではない

 

いろんなカタチの愛がある。

 

知らず知らずのうちに 与えている愛も、ある・・・

 

肩肘張らずに力を抜いて

 

私が 良いと思う通りにしたらいい

 

それが愛かも知れない

 

間違っていたら きっと強制的に正されるのだから 何も考えずに

 

それで良いのかも・・・

 

 

求められたら 与えなさい

 

私は それよりも大きな愛を もう 持っているんだ・・・と、自覚しようと思った。