My roots

幾千年前からの自分のルーツを見つける”旅”の記録です。

また 空っぽになっていた

エネルギーヒーラーさんのセッションのレポートが届きました。

 

すっかりお見通しと言うか・・・私の空虚感と言うか 良い意味での潔さ、諦め(と、言ってくださった優しいヒーラーさん・・・自分では もーいいや!って結構3次元的な諦めと思ったのですが)で 中心のエネルギーラインが太くなっているけれど空洞になっている、と。

 

エネルギー切れ状態が露呈しておりました・・・

 

デトックス具合が物凄くハードになって来ているような。

 

半年前辺りから わたし が空っぽの状態に時々なっている。

 

自分に通っているエネルギーの状態が 凄い変動しているから 肉体がついていけないのだろうか?

 

そして、エネルギーラインが太くなっているのは 少しずつ少しずつ、腹を括れるようになって来たのか?

 

腹を括らないと、と 何故か思ったのは もう2年半前になるだろうか。

 

義父が亡くなった時の不思議な偶然の時に そう思ったのをはっきりと覚えています。

 

何に腹を括らないとと思ったのかは 当時はよくわからなかったのですが。

 

実際に、言葉にして 「腹を括る」と言っても 簡単に出来るものではなかった。

自分では「できた」と思っていても いつも 揺らいでしまったり 

 

簡単に揺らぐ自分の感情の脆さや弱さを 受け入れたくなくて抵抗している事にも気付いていました。

 

「手放した」と、言うだけのと似ているような笑

 

よく、手放した!と言っている人を見ますが そんな簡単な事と思えない。

 

私自身、手放した!と思った事は何度もあるけれど 実際には 手放し切れていないんです。

 

表面的には手放したと感じるでしょうが 深いところでのそこまでは簡単に行けない。

 

修行僧では無いのでね笑

日常生活のレベルで何かを手放せるほどの出来事や変化、そんな大それた事は滅多に起きないんですよ。

 

厳しい見方かも知れないけれど・・・私自身が経験してきた分では 本当に・・・肉親の死をもってしても そんな深いところまではいけなかった。

 

手放した(つもり)にはなりますが・・・。

 

とは言えそれは、私に限っての話で いとも簡単に その境地に辿り着く人もいるでしょう。

 

 

 

最近の私は 何度も エネルギーが枯渇してしまうところまで行ってしまい、空洞の私になる。

 

無 を何度も繰り返しながら 少しずつ 中心を太くして来たのだろうか。

 

彼と向き合った時、深いところまで 見ていると思っていたけれど 今の方が もっと深い部分に入り込んでいると分かる。

 

それでも まだ深い部分はきっと残っているから 究極にまでなる。

 

無にならないと、時に自分の命さえ危ういと感じるところに行かないと 私は 自分軸を太くしっかりとしたものに出来ないのか・・・

 

過酷さが増した。

 

でも、出来ないことではないとも感じる。

 

1人でどうにかできない時は 絶妙なタイミングで助けが入ります。

 

だから 大丈夫。

導いてくれる存在が近くにいるのだから。

 

それは 三次元での繋がりの人だったり ハイヤーセルフやそのほかにも 自分を守ってくれている存在が と言う事。

 

一つずつ 越えて行こう。