My roots

幾千年前からの自分のルーツを見つける”旅”の記録です。

その答え

自分に起きてくる面倒くさい事象についての答えが 見えてきた。

 

嫌な事を我慢して、飲み込まないこと。

怒りも腹の立つ事も 自分の中に仕舞い込まないこと。

自分を犠牲にしないこと。

感情に蓋をして『良い人』に ならないこと。

怒りの感情も 誰かを嫌う自分も 許すこと、そんな自分を 愛すること。

 

本当の愛はまず 自分を愛すること、自分を、自分の心を大切にすること。

 

線を引くこと。

 

自分を大切に出来ない者は 対する人を大切にも、幸せにも、助ける事も出来ない。

 

いつのまにかまた、他人との境界線が曖昧になっていた。

その相手が理不尽過ぎても 受け入れて尽くす事が 愛だと思い込んでいた。

 

境界線が曖昧だから 相手がただ依存しようとしているだけと 見抜けなくなっていた。

 

エンパス発揮してしまっていたんだな・・・

 

見えて来たら、偶々目に入ったあるブログに それと似たような体験が書いてあり。

 

ああ、やっぱりコレか。

 

と、確信する。

 

こんな事を言うのは 社会人として未熟だと思う私の心の表面と、心の深い部分は「 嫌な事をまた、我慢しないといけないのか」と苦しみ、「周りと上手くやっていかないとならない時は 強烈な相手の事を尊重して私が我慢したらいいのだ」、と 思う事に抵抗を感じている。

 

深層心理は『もう我慢したくないよ。何故 牙を剥いてくる人に服従するの?ワタシのココロは 悲しくて死んじゃうよ・・・ワタシらしくないよ。我慢はツライよ・・・』

 

一晩でした。

 

この答えに繋がるまで。

 

嫌なことが起きて来てから ずっと 何故だろうと 必死に考えてきました。

答えが見つからないのは 頭でしか考えていなかったからでしょう。

考えてたどり着いたことを 行動に移していくと・・・

 

導かれるものなのです。

 

ある程度、自分で答えに辿りつけそうになるまで 自分なりに いろんな感情に苛まれ 苦しみ そして 今まで繰り返して来たから 違う方向に向かってみると 答えに導かれる。

 

だから、答えは これなのだ・・・。

 

そう。

そうやって 進んで行けば良いんだ、きっと。